「皇紀(こうき)」という暦をご存知でしょうか?
神武天皇が即位した日を建国年として数える暦です。
西暦2018年は皇紀2678年になります。
「皇紀」は特に右翼たちが大好きな暦です。
彼らの前で、暦の話をすると皇紀の話になり、「日本は西洋より歴史が長い!素晴らしい国だ!世界一だ!万歳!」と叫びます。
日本古来の宗教の継続を担う神社の神官の中にも、一部にはそうした事を声高に叫ぶ人がいるものですから、もう、どうしようもありません。
「自分の国が世界の中心だ」「天皇は我が民族の血統だ」と叫ぶ某国と同じレベルの稚拙なマウンティングです。
恥ずかしいですよね。
日本の歴史は2700年程度では納まらない、もっと壮大で巨大な歴史を持っていると言うのに、そんな小さなマウンティングで喜んでいるなんて…
皇紀は捏造ではあってもウソではない
結論をいえば、「皇紀」は明治維新の時代、正確には江戸時代後期の「国学」から派生して生まれた新しい暦です。
1873年1月1日、旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日に切り替えて西暦が採用されたタイミングで、同時に施行されました。
日本が欧米諸国にならって、軍事国家を形成する過程で、西洋文化に対抗してプロバガンダされたもので、半捏造的なものです。
したがって、「皇紀」は伝統でも何でもありません。
ただし、ウソではありません。
確かに、神武天皇が即位してからの年数である事は間違いありません。
しかし!
そもそも、ある基点からの時間を数え、時刻の歴史がいかに年輪を重ねた由緒正しい歴史かどうかを誇張する発想は日本にはありません。
そうした態度は歴史の浅いキリスト教が、自らを権威付けるために用いるものです。
皇紀は西暦と同じ「直線的な時間概念」
「皇紀」の発想は、その発想自体が「西暦」と同じ発想であるがゆえに劣悪だといえます。
現代人は西暦に慣れ過ぎて、ある始点から何年と数え、そこから何年経ったか?という暦だけが全てだと思いがちです。
それゆえ「年数が古いほうが歴史がある」という短絡的な思考になっています。
0年、1年、2年、3年、4年、5年、6年、7年、、2015年、2016年、2017年、2018年…
過去から未来へと一直線に進み続けます。
こうした西暦はいわゆる「直線的な時間概念」です。
皇紀もまた西暦と同じく、「直線的な時間概念」です。
それは、日本で用いられる他の暦である「干支暦」や「元号」と概念が根本的に異なります。
極めて不自然です。
日本人の時間概念は無限に循環する「円環的な時間概念」
西暦が「直線的な時間概念」であるのに対して、日本人の時間概念は「円環的な時間概念」です。
「円環的」とはどういう事か?順を追ってご説明したいと思います。
江戸時代まで、主体となった暦は「干支暦」と「元号」の二種類でした。
「干支暦」は奈良時代、飛鳥時代あたりに、大陸(中国・朝鮮)から輸入されたものです。
「元号」は天皇が即位してから今が何年目かを示すものです。
これら2つの暦には「円環的」であるという特徴があります。
干支暦の場合
たとえば、干支(えと)暦です。
子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥…
このように、今でも私たちは自分が何年生まれか知っているでしょう?
西暦が持ち込まれる前は、特に干支暦が重視されました。
それは12年で一巡し、12年ごとに年男(としおとこ)、年女(としおんな)の年が回ってきます。
その年は厄年として、神社やお寺でお祓いを受けます。
それが日本の文化でした。
子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥…
それは12年周期で永遠にぐるぐると回り続けます。
まさしく円環的な時間概念です。
あるスタート時点から、「今は何年目?」といった概念ではない事がわかります。
元号の場合
元号は基本的には天皇が即位した時点を元年(0年)として数える暦です。
歴史を紐解くと、災害が起こった際に、縁起が悪いと新しい元号に変わった例外もありますが、基本的には天皇が即位して何年目かを示すものです。
一代ごとのミクロ視点から見れば、「今は何年目?」という直線的な時間軸ではありますが、それは天皇が退位すると同時にリセットされ、0に戻ります。
増えては戻り、増えては戻り、ぐるぐると行ったり来たりします。
まさしく「円環的な時間概念」です。
そこにも、西暦のように年を重ねて数字を増やす事に何のこだわりも持っていない事が表れています。
皇紀・西暦のような数え方には限界がある
西暦は確かにシンプルで計算しやすいですが、例えば、それが100万年続いたらどうなるでしょうか?
とても言いにくいですし、読みにくいです。
たったの2700年?全ての神々が鼻で笑った
視野を人類の起源まで遡って見れる人は2700年という数字がいかに短いか既に気付いているでしょう。
私も皆さんと同じく、日本の歴史は2700年程度では収まらないという見解です。
まあ、政治目的の人たちは2700年程度のマウンティングで満足なのかもしれませんが…
正直、「日本の歴史が2700年だ!すごいだろ?」という言葉を高天原の神様たちが聞いたら、鼻で笑われるかもしれません。
あくまでも神武天皇が即位した時点から計測した時間だというのはわかりますが、「スケール小さいよね」という声が天界から聞こえてきそうです。
西暦2018年は、天孫降臨1,795,115年です
ここで『ウエツフミ』や「ムー大陸」の話を持ち出すまでもなく、『日本書紀』にもその証拠があります。
『日本書紀巻第二 – 神日本磐余彦天皇(神武天皇)』には以下のように記されています。
天祖の降りましてより以来、一百七十九萬二千四百七十余歳。
『日本書紀巻第二 – 神日本磐余彦天皇(神武天皇)』
天祖とはニニギノミコトのことで、天皇の先祖にあたります。
ニニギノミコトが天から大地に降り立つ際、オオクニヌシノミコトから国土の支配権を譲り受け(国譲り)、日本を治めました。
これが天孫降臨の伝説です。
その天孫降臨が1,792,470年であると、『日本書紀』には書かれています。
約179万年です。
もはや、長すぎて実感が湧きませんよね?
私の誕生日を例にとって見ましょう。
神武天皇が即位した年が1,792,470年だとすると、西暦1985年は皇紀2645年だから、1792470+2645=1795115年になります。
とても言いにくいですし、読みにくいです。
あと、覚えにくいです。
歴史のテストとか難易度上がりそうですね。
皇紀支持者も100万年経てば気付くだろう
おそらく皇紀支持者も100万年後には気付くでしょう。
「どれだけ歴史があるか?」「自分たちの文化が何年物か?」そんな見栄の張り合いは100万年も経てばどうでも良くなります。
日本人が江戸時代まで「干支暦」や「元号」などのシステムを好んで使っていたのは、179万年の歴史の中で、その方がいいという事に気付いたからです。
100万年ぐらい前には、ひょっとしたら次のようなやり取りがあったかもしれません。
もはや、天皇が即位してからの「元号」でいいんじゃね?
三ケタ以上になると覚えにくいから。
もう、うし年とか、たつ年とかでいいよ。
皇紀はオワコン、ただし西暦はしばらく現状維持
今となっては西暦は一般化され過ぎてしまったので、付き合うしかありません。
私は西暦はどうしても便利なので四柱推命でも西暦を採用していますが、皇紀は今後、使う事はないでしょう。
残念ながら、皇紀は一般にほとんど定着していないので、オワコンです。
元号を大事にしましょう。