「とぼける」、類義語としては「しらばっくれる」、「知らぬ振りをする」、「道化を演じる」といった意味の言葉です。
世の中、めんどくさい人が多いです。
いわば、「クソまじめな人」だったり、「融通の利かない人」です。
職場などでも、そういう人が身近にいたら、大変です。
あなたが終わらせたはずの仕事について、事細かにチェックし、あれやこれやと指摘してくるでしょう。
指摘される対象も、この記事を読んでいる人徳者の皆さんから見れば「どっちでも良いよ」と思うような事がほとんどではないでしょうか?
それらを一つ一つ相手にしていたら時間の無駄です。
そういうめんどくさい人に対する対処法としては「とぼける」のが有用です。
あなたが、少しでも「どっちでも良いよ」と思ったなら、思いっきりとぼけましょう。
そこで「仕方ないな…」と「クソまじめ」に付き合っていたら、どんどん無駄な時間がかさみ、運気が下がります。
「そんなことで運気までさがるの?」と思われるかもしれませんが、嫌だと思う事に妥協しているうちに、嫌な方向へ寄って行ってしまうのですから、当然下がります。
とぼける事で丸く収まるなら、その方が時間の節約にもなります。
さらに、めんどくさい人から「こいつはバカだから何を聞いても無駄だな」というレッテルを貼られれば、しめたものです。
嫌いな人から嫌われれば、とばっちりを蒙ることは無くなりますから、運気は上昇、何もかも安泰です。
古典が認める「とぼける技術」の有能さ
「とぼける」という事は悪いことなのではないか?
そう思われる人もいるでしょう。
しかし、東洋哲学の古典には「めんどくさい時にとぼける事は良い事なんだよ」と記されています。
例えば、五経の一つ『易経』には次のように記されています。
箕子之明夷。利貞。
箕子(きし)の明(めい)、夷(やぶ)る。
貞(ただ)しきに利(よ)ろし。
『易経』地火明夷 5爻
って言われても「?」ですよねw
これの意味を説明致します。
殷の時代、箕子(きし)という賢者が紂王(ちゅうおう)という暴君にあらぬ疑いをかけられ、捕らえられました。
つまり、紂王とは「めんどくさい人」です。
これに際して、箕子さんはあれこれと尋問を受けるのですが、この時、「とぼける」を使います。
狂人のふりをして、おとぼけをかまし、その場を丸く収めたそうです。
「箕子の明を夷る」というのは「箕子が自らの聡明さを傷つける」という意味で、すなわち、知恵を隠して「とぼける」という事です。
箕子さんは学識の深い賢者でしたが、本来の知恵を隠して道化を演じたのです。
もし、箕子さんがバカ正直に、賢者としての振る舞いをし、饒舌に自己弁護をしていれば、拷問にかけられ命を失っていたかもしれません。
あるいは長々とめんどくさい事に巻き込まれていたかもしれません。
わけのわからない暴君にクソまじめに協力したところで、何も楽しくないし、単なる時間の無駄ですから、箕子さんは賢者であるがゆえに、その場を簡単にすり抜ける方法として、「とぼける」を選んだのです。
能ある鷹は爪を隠す
”能ある鷹は爪を隠す”というのは、本来は別の意味ですが、爪をひけらかす事で、何かと面倒な事に巻き込まれ、損失を蒙るのであれば、隠しておいた方が良いこともあります。
「とぼける技術」を使ってみた
筆者は幼少期から「とぼける」という技術を使っていますが、結構使えますよ。
例えば、小学生の頃、宿題を一度もした事がありません。
ちびまる子ちゃんみたいな小学生でしたから(笑)
親にも先生にも友達にも、とぼけ続けて宿題に費やす無駄な時間をロスカットして来ました。
結局、小学校の宿題はしなくても特に人生が不利になるという事はありませんでした。
「とぼける技術」は大人になっても駆使しています。
この技術のおかげで割りとストレスをカットしてきました。
これからも、「とぼける技術」にどんどん磨きをかけてゆきたいですね。
これまで私にとぼけられた事がある人がこの記事を読んだらさぞ憎むでしょうね。
「なんだあいつは!」って言われそうですね(笑)
でも、もし彼らに「お前、ブログでこんな事書いていただろ!」と言われても、それすらとぼけ通してみせますけどね!
なんども言うが、「とぼける」事が出来る人は孔子も認める人徳者
なぜ私が「とぼける」といった、一見反社会的な事をこれほどまでに強調して推奨するのか?
私自身、罪悪感を持っていた事もありましたが、それはある時、払拭されました。
なぜなら、先ほども申し上げた通り、五経の一つ『易経』がそれを認めているからです。
五経といえば、孔子が認めた儒学書です。
つまり、「とぼける」事は孔子も認めています。
孔子さんなら言いそうですよね、「とぼける事も徳の一つだ」と。
バカ正直に嫌なことにも一々対応して、ストレス溜めて発狂するより、適当に「とぼけて」スルーする方が、よっぽど万物の理に適っています。
それより上位は「とぼける」必要すらない環境に身をおく事ですが、それについては別の機会に論じたいと思います。
対象の物事が「とぼける」必要がある案件かどうかの判断基準
自分に降りかかるあらゆるものに一々クソまじめに対処していたら、キリがありません。
世の中、知らん顔して、放っておくのが正解な事もあるのです。
では、「やる」か「やらない」かの判断基準はどうするのか?
何についても言えることですが、何かをする時、「それが世のため人のためになることか?」という基準で判断して良いと思います。
「時間の無駄なだけで、誰にも何のメリットもないんじゃないの?」と思う事に対しては、概ね「とぼける」事で、その場を丸く収めるのがオススメです。
とぼける方法
では具体的にどうやって「とぼける」のか?
とぼけ方は人それぞれです。
地方出身者は方便を上手く使うのもオススメです。
嫌なヤツ「ちょっとあなた!ぼーっとしてる暇があるなら、○○でもしたら?」
私「すんずらこついっでぇもでぇ?これんさい、あっつらっつってーと、かんにんしてつか〜さいき!」
みたいなw
え?流石に無理ありますか?w
基本は相手に「こいつ、話にならん」と思わせるのが筋です。
ただ、相手を怒らせてしまってはダメで、「だめだこりゃ」と呆れさせるのがコツです。
やってみると案外難しいですよ。
「はいはい」と妥協してしまう方が楽なぐらいです。
そうなんです。
みんな、無駄に罪悪感を感じて妥協しちゃうんです。
でも、妥協しちゃ、だめですよ。
アホみたいな暴君と、あなた自身の精神衛生、どっちが大事ですか?
とぼける技術はいざという時のためにも是非身につけておきたい技術です。
それぞれのパーソナリティーを踏まえ、自分に合った方法を模索してみてください。