かずひさ

【神社経営】「してもらって当たり前」な人は切れ!損失以外の何ものでもないから。

世の中、「してもらって当たり前」という態度の人っていますよね。

神社にもそういう人は来ます。

神社から「何か貰って帰ったろ」みたいな人の多いこと…

そういう「してもらって当たり前」な人とは早急に関わりを切るべきです。

断言します。

関わり続けても損失以外何ももたらしません。

将来的に改善されることは絶対に無いと思うぐらいがちょうど良いです。

タチの悪い人たち

してもらって当たり前。

そういう輩って、特に神社経営を支えてたりしていないから余計にタチが悪いです。

おみくじ一回だけ引いて、巫女さんに長々話しかけるオッサンとかね。

もちろん、その輩はおみくじなんかに興味なくて100円で女の子としゃべろうという悪質な邪気ですよ。

しかも業を煮やしてお引取り願うと、逆恨みされるという(笑)

 

おみくじ一回だけ引いて「俺は客だぞ!ゴルァ~」系の輩って一定数いるんですが、彼らは病気ですね。

神様に祈りに来たんじゃないの?

まあ、自分の存在を認めて欲しいんでしょうね。

愛が欲しいんでしょうね。

残念ながら、我々は神と人の仲裁者であって、彼らの専属セラピストじゃありません。

 

あと、お下がりやらなんやらと、「神社から何か貰って帰ったろ」みたいな「賽銭泥棒予備軍」も一定数いますね。

参拝者にみかんを配ったら、何回も列に並び直して、何袋も持って帰る輩とか。

しかも大人がですよ?

これ実話ですからね。

スーパーのセールとかなら百歩譲っても、神社の場合、もらう相手は神様ですよ?

 

あと、「うちは代々氏子だ」とか言って威張って、正月にお酒(一升瓶)だけもらって帰る輩もいました。

そういう輩に限って、特に神社経営を支えていないという。

そして、やたらと態度も声もでかいみたいな。

境内の雰囲気悪くするのが超絶得意です。

むかついて「今年は余ってるお酒が無い」と言ったら、「ダメだ!毎年もらってる!」みたいに言って、後日取りに来るという徹底ぶり。

よくやるな~って感じですよね。

そういう輩はとっとと祓い清めましょう

ハッキリ言って、そういう輩は神社に入れちゃだめですよ。

とっとと祓い清めましょう。

なぜなら、そういう輩を受け入れて、そういう輩が境内をウロウロし始めると、まともな参拝者、崇敬者が離れていくからです。

神社の境内というのは清々しい空気を保たねばなりません。

静かで清々しい境内に寄り付く人たちこそ、真の氏子・崇敬者です。

「誰に対しても同じように接するべし」という教訓はあくまで宗教家としてのメンタリティー

神職たるもの「誰に対しても同じように接するべし」という教訓もありますが。

そりゃ修行を積んで感情のコントロールを学んだ宗教家であれば、立派な御殿に住む旦那に対しても、真っ黒な顔をしたコジキに対しても、同じように接せられますよ。

神の前で身口意をつつしむ有徳の君子にも、神に背を向け足を向ける不徳の小人にも、同じように接せられますよ。

それはあくまでも宗教家としてのメンタリティーです。

 

優秀なあなたには出来るでしょう。

でもね、一般人はそんな聖人君主じゃありませんから!

デキる人ほど見切りつけるのは早いです。

まともな崇敬者はどんどん離れてゆきますよ。

キモイ輩がウロウロしている神社にはどんどんキモイ輩が集まってきて、クレーム処理や訳わからない物言い対処など、不毛で無益な仕事に追われる日々が待っています。

経営者として見た時、「誰に対しても同じように」じゃ通用しない

「誰が来ても平等に」という教訓は立派ですよ。

額面上はね。

しかし、「神社経営」として見た時、話は変わります。

悠久の昔から続く神社を未来永劫引き継いで行かなければならない使命を帯びたとき、神社を経営せねばなりません。

宗教家であると同時に経営者なのです。

 

神社経営では、メリットのある顧客にコミットし、デメリットのある輩はロスカットしなければなりません。

神社経営者は、対象の人物が神社経営にとって有益な氏子・崇敬者か、あるいはただ足を引っ張り資産を消耗させるだけの「おもらい」かを的確に見極めねばなりません。

 

そうした経営者としての使命を全うするのが嫌なら、山に籠もって外界との関わりを断ち、隠者になればいいのです。

「いつもしてもらっているのに!」系も危険

「いつもしてもらってるのに」的な切り口で、神社に何か要求してくる人はおおよそロスカットの対象でしょうね。

関わっても損失しかありません。

 

そもそも、神社って神様を敬い、神様に助けてもらうための場所でしょ?

その神社に何か要求するという行為自体、なんか申し訳ないと思うのが信仰心じゃないですか?

もちろん、神社で働く神主さんは謙虚な人が多いので、真摯に対応してくれますよ。

ただ、神様はどう思われるでしょうね?っていう話ですよ。

 

さらにそれが戦略的なものだとしたら、相当腐ってますね。

神社仏閣は過去の遺功を重んじるから「いつもしてもらってるのに!」

とでも言っておけば、また要求を聞きいれてくれるだろう、という卑劣な計算が脳裏に働いているとしたら。

くわばらくわばらって感じですよね。

だからこそ余計にバチあたり

神社で働く神主さんは謙虚な人が多いので、無礼な要求にも真摯に対応してくれるでしょう。

特に、修行を積んだ偉い神主さんほど、温厚で誠実ですから。

私から見れば、だからこそ余計にバチアタリというか…

くわばらくわばらって感じです。

謙虚には謙虚で返さなくちゃね。

【悪い奴を切る判断基準】直感を信じよ

読者の中には温厚な神主さんや関係者の方もおられるかもしれません。

優しさは時に優柔不断さを引き起こします。

してもらって当たり前な輩を切ると言っても、なかなか決心が付けられない、その人は本当に悪い人なのか?

改心することはないのか?

とか、思ってしまう人もいるでしょう。

 

直感を信じてください。

あなたは神に仕える身。

あなたがイラっとしたなら、それは神のご意思です。

 

あるいは逆の立場に立ってみて下さい。

その輩がしている事を自分ならするかどうか?

「自分ならしないな」と思ったなら、それをしている人は悪です。

 

私だったら、例えばいつも貰ってる物が今年は無かったとしても、何か訴え出ることはしません。

実際に、そういう経験はあります。

でも、そこで物を貰わない代わりに徳を積めたと思うのが、本当の信仰ですよ。

「将来的に改心するかも」という希望は捨てよ

「してもらって当たり前」な人は、たぶん改心はしません。

自分が弁舌をふるって改心させようというのもやめといた方がいいです。

そんな時間があれば、まともな崇敬者に「幸せ」を提供する弁舌をふるったほうがいいです。

もし、改心した時にはその時に受け入れてあげればよいのです。

とにかく今はダメなんだから、イジェクト(追放)。

それが何より、清らかな境内の維持と、全うな崇敬者のためになるのですから。

かずひさ

かずひさ

宗教家。 代々神主の家系に生まれ、とある神社の神主として神に仕えている。 また、高野山真言宗にて得度した行者でもある。 10代の頃から霊聴を聴くようになる。 2016年、自己流でのチャクラ修行に失敗し、その報いとしてバセドウ病を患い、発見された時は末期で死の寸前だった。 何がダメだったのかを自分なりに反省し、気を取り直して修行を再開。 2016年11月、止観瞑想の末、身体の浮遊を体感、赤い曼荼羅を見る。 2017年4月大日如来の教えに導かれて悟りを開き、「空」の意味を理解する。 それは単に「無」の意味ではない事がわかった。 また、私が開いた悟りは仏の悟りのほんの第一段階に過ぎない事も理解している。