- 自分が長い時間をかけて磨いた技術を人に教えたくない
- 自分が苦労して研究して得た知識を人に教えたくない
- 自分がたまたま閃いたアイデアを人に教えたくない
こういう人、どこの世界にもチラホラいますよね。
私の経験上、こういう心理を持った人は大体において開運していません。
猜疑心が強く、エゴイストで、粘着質で、他人の批判ばかりしている…
いわゆる自意識過剰。
そんな人が多い印象です。
まあ、尊敬されませんよねw
哀しいかな、そういう人は周りから「尊敬」じゃなく「損得勘定」でしか見られません。
結果、大して成功しておらず…
スピリチュアル的に見れば、技術・知識を自分だけのものにして、隠そうとする事は、神様の意思に背いているから、うまくいかないんですよね。
今回は、あなたがそういう人にならないように、また身近にそういう人がいたら「要注意だよ」という警鐘を兼ねて、なぜ人に教えないことがダメなのか、お伝えしたいと思います。
神様から与えられた命の中で
スピリチュアルな話ですが、私たちの命は神様から与えられたものです。
神様から与えられた命の時間の中で、神様に導かれ、様々な経験をし、いろいろな事を学びます。
まあ、神様を信じない人でも、誰しも母から生まれ、親に育てられ、たくさんの人と関わっています。
毎日食べる米や野菜は、誰かが作ったもので、酸素を吸って、水を使って生きています。
それらを「神様」と思ってもらえればいいと思います。
その中で、もし、あなたが特別な知識や技術を得たとします。
それをあなたが自分だけのものにし、隠し、独り占めする姿を見て、神様は何を思うでしょう?
神様は人類全体を良くする為に人に命を与え、導いているのであって、一人の自己満足のために命を与えているのではありません。
神様は一人一人が「人類の役に立って欲しい」と願っています。
得た知識・技術をみんなに教えて共有して欲しいと願っています。
与えられた命の中で得たものを「人に教えたくない」と言って自分だけのものにすることは、
神様の意思に背き、あなたが生きるためにこれまで奪ってきた命の糧と、消費してきた地球資源を冒涜するに等しいことでもあります。
結果、徳より罪の方が大きくなるので、必然的に開運できません。
あなたの知識・技術は地球人の財産
あなたは個人ですか?
それとも地球人ですか?
自分の目線を「個人」の目線ではなく、「地球人」の目線に変えてみて下さい。
あなたが発見した素晴らしいものは、あなた個人が生み出したものであると同時に、地球人が生み出したものです。
地球人の財産です。
あなたがその知識や技術を得るために、これまでどれだけの時間をかけ、どれだけ努力し、どれだけ投資し、どれだけ苦労してたどり着いたものであっても、
それらの知識や技術は、あなた一人だけのものではありません。
神から与えられた命の中で、神が創った地上で、神の導きで、先祖と、家族と、友人と、関わる全ての境遇の中で育まれたものであるはずです。
人に教えて広めることが神様の意思です。
1人よりも全員に教える「オープンソース」の概念
すごいノウハウがあったとして、それを
- 誰にも教えない人
- お金を払った一部の人にだけ教える人
- みんなに無料で教える人
あなたが神様で、天から人々を眺めていて、この3種類の人がいたら、誰を助けてあげたいと思いますか?
まあ、この答えがわからない人は、このブログの読者にふさわしくないので、もう読まなくていいです。
どうぞ離脱してください(笑)
「オープンソース」とはコンピューター用語で、自分がプログラムしたコードをネット上に公開して、誰でも使うことが出来るようにするというものです。
具体的にはソフトやアプリを作る際、「こういうことをしたい」と思って検索すれば、ネットにコードがいっぱい落ちていて、コピー&ペーストして使うことができます。
実際に、プログラミングの世界ではオープンソースが当たり前で、
これにより人類全体がより早くITを進化させることが出来ました。
そこから外れた意見や思想は全て神にそむいた悪だから無視していい
あなたの上司や、師匠があなたに、「知識・技術はむやみやたらに人に教えてはいけない」と言ったとします。
ここまで読んでいただいた読者なら、彼らの魂は次元が低く、その発想が罪深く、取るに足らない幼稚な思考であることはご理解いただけるはずです。
ですから、無視して差し支えありません。
神々は「人に教える人」に味方します。
彼らではありません。
まあ、神様に背いた人は地球のアセンション後、木星かどこかへ飛ばされるだけなので、関わることはないでしょう。
「マネされたくない」という心理
知識・技術を人に教えたくない人の心理って、往々にして「マネされたくない」なんですよね。
結論を言えば、「マネされたくない」って思っているうちに、あなたが「マネし」になるよ。
という事です。
2つの例を出しましょう。
私の大学時代の教授で、
「私はWindowsに似たシステムのアイデアをマイクロソフトがWindowsを発売するずっと前から思いついていた。」
「マイクロソフトにマネされた。」
って言っていた教授がいました。
あと、Facebookって創始者のマイク・ザッカーバーグのアイデアではなく、友人のアイデアをパクったものなんですよ。
このことは彼は隠しておらず、映画『ソーシャルネットワーク』で普通に語られていました。
マネでもオリジナルでも関係無い
マイクロソフトが成功したのは、一番最初に全世界に発信し、広めたからです。
もし、本当にWindowsのアイデアがその教授のものでも、その教授が後から似たソフトを出していたら「マネし」と呼ばれたでしょう。
Facebookが成功したのは友人のアイデアを彼が先に発信し、広めたからです。
その友人が後でFacebookに似たサービスを出していたとしても、たぶん「マネし」と呼ばれたでしょう。
実際にマネかオリジナルかは関係ありません。
最初に発信した人がオリジナルになります。
神様は発信する人を応援する
人のアイデアをパクって、発信するなんて悪だ。
そんなことをしたら神様が怒って罰が当たるよ!
と思ってるあなた。
それは大間違いなのです。
神様はそんなレベルで物事を見ていません。
残念ながら。
人類はみんな神様の子供です。
神様の分身です。
神様は地球人単位で見ています。
だから、神様から見れば、「誰がやっても一緒」なのです。
神様は誰のアイデアでも、誰がやっても、そんな事はどうでも良くて、
「みんなの役に立つ事をしている人」
を応援します。
ものすごいアイデアを閃いて、それを人に教えない人
よりも
他人のアイデアであっても、それを人に教える人
を応援します。
お釈迦様の教えを真似してもお釈迦様にはなれない
『スッタニパータ』や『ダンマパダ』に書かれているようなお釈迦様の教えって、すごいですよね。
私も大好きです。
でも「教え」は言葉だから、暗記すれば誰にでも真似できてしまいますよね。
たぶん当時、お釈迦様のマネをして人から「チヤホヤされよう」とした輩はいたはずです。
さも自分が悟ったかのように教えを説く人を見てお釈迦様は怒ったと思いますか?
喜んだと思いますか?
私は喜んだと思います。
お釈迦様は人から「すごいね~。パチパチ。」とチヤホヤされるために教えを説いたのではなく、悟りの知識を共有するために教えを説いたのですから。
もし誰かが上手にマネをして、その人が名誉をかっさらっても、教えが広がれば良いと思っていたに違いありません。
でも、結果的に、全ての名誉はお釈迦様のところへやってきました。
それは、お釈迦様が最初に発信したからです。
最初に発信した人が神様に気に入られ、最初に発信した人に名誉が訪れます。
これは理屈じゃなく、宇宙の真理なのです。
結論:知識・技術は無償で共有しましょう
全部、自分に返ってきますから。
いい事をすれば、いい事が返ってくる。
無償であって無償じゃない。
「ギブ&テイクの法則」です。
知識・技術はとにかく共有しましょう。