かずひさ

御朱印のご利益はあるのか?神様は御朱印についてどう思ってる?

ぼくたち、わたしたち…

あちこちの神社にお参りしては御朱印を集めているけれど、

御朱印ってそもそも、ご利益はあるの?

 

結論を言います。

「ご利益」という部分においては、ご利益は「無いとは言えない」が、「ほとんど無い」です。

 

その最たる理由を一言で言うなら、

魂の成長にならないから

です。

 

今回は、その事についてお話したいと思います。

神社関係のトラブルの元凶は御朱印の場合が多い事実

御朱印にご利益は無い。

といっても、神社仏閣にお参りに行く動機にはなっているので、一概に「悪」とはいえませんが…

 

ネットで調べてもわかりますが、神社関係のトラブルって、ほとんど御朱印にまつわるトラブルなんですよね。

 

主な要因は

「神主の態度が悪い」

です。

 

なんで態度悪いか知ってますか?

 

それは

神様が御朱印を嫌っているから

です。

 

これ、気付いている神主さんも多いと思います。

 

「神様と神主は関係ない。」

「神主はダメでも神様は素晴らしい。」

みたいな意見がいろいろありますが…

 

実際には、神主を選んでいるのは神様なので、神主には神様の意思が反映されています。

 

とにかく、御朱印に関して、ブームと裏腹に、ほぼ日本中の神様が良く思っていません。

その理由は、冒頭で延べと通り、「魂の成長にならないから」です。

 

人の意思と、神の意思が反しているから、エネルギーがぶつかって、悪い現実を引き寄せるのです。

御朱印の歴史

実は、御朱印の最初の形は「納経帳」でした。

お寺で写経して納めたこと(納経)を記録・証明するために「納経帳」に御朱印が押されました。

それが、御朱印のはじめです。

 

つまり最初は御朱印がメインじゃなくて、あくまでも納経がメインだったのです。

 

お経にはお釈迦様の悟りが書かれています。

それゆえ、お経を写すことは「魂の成長のためになること」ですので、とても良いことです。

 

しかし、ある時点から「納経」そのものではなく、

納経するともらえる「御朱印」のイメージが先行してしまい、

納経していなくても御朱印がもらえるサービスが生まれました。

 

かくして現在に至ります。

魂の成長?

私たちがこの世に生まれた目的はなんでしょうか?

それは成長するためにです。

私たちは魂の成長の為に生まれました。

 

神道においては、神話におけるスサノオノミコト(以下スサノオ)の成長がその事を象徴します。

『古事記』は国の成り立ちを描いた壮大なストーリーですが、

 

その中には母を失い泣きわめいていたスサノオが、

ヤマタノオロチを倒して人助けをするようになり、

最後には国津神の棟梁(地球神)になる。

その成長のエピソードが含まれています。

 

宇宙に最初に誕生した神々のうち、イザナギ、イザナミは生命を生む役目を与えられます。

イザナギ、イザナミが生んだ神がまた子を生み、そうして連綿と生み継がれてゆく系譜の枝先に私たちがいます。

 

私たちは皆、神様の子供です。

子供は成長して、いつか親に、つまり神様にならなければなりません。

 

「この世」という場所は、まだ神様になる能力が無い人たちが、神様になるための修行をする場なのです。

そこで、最も大事な事が魂の成長です。

 

その事を伝えんとするが為に「神社」は存在するのです。

神様「時間の無駄や、こっち向け」

実は、私も、一時期御朱印を集めていた時期がありました。

あれは熊野速玉大社にお参りした時のこと。

 

御朱印を貰おうと授与所に並んでいたとき、

 

時間のムダや、やめとけ、おい、こっち向け。

 

という、神様からのメッセージを貰いました。

 

それまで、私の頭の中を支配していた感情は。

「あ~、結構並んでるなあ。あと何分ぐらい待たなあかねんやろ?早くしてほしいなあ…」

でした。

 

今思えば、めっちゃ神様に失礼ですよね。

神様から見れば、

「お前何しに来てん!」

「イライラしに来たんか?」

って感じですよね。

 

その時、神様からさっきのメッセージを貰って、

スっと心の霧が晴れた時の事を今でも忘れません。

 

時間の無駄や、こっち向け

 

それは言葉ではありませんでした。

言葉よりもっと、はっきりしていて、一瞬で伝わってくる思念のようなものです。

 

私は、御朱印の列に並んで、神主さんが流れ作業で筆を走らせるのをイライラしながら、眺めていた目をそらし、

本殿のほうに目を向けました。

 

美しい山の景色の中で、自然と調和しながら佇む社が見えました。

その様子はソワソワと落ち着かない私の心と相反するように、静かでした。

 

「オレは何をしていたんだ!」

と我に返り、御朱印の列から外れました。

 

もちろん、着いてすぐ、お参りは済ませていました。

でも、その時は気付かなかったんですよね。

 

この場所がエネルギーに満ちた美しい聖地であることに。

そこに神様が居ることに。

 

私は、それ以降、御朱印をもらうのをやめました。

神社は神様の息吹を感じる場所

御朱印を集めだすと、どうしても神社参拝が「作業」になってしまいます。

「作業」になってしまうと、楽しくないじゃないですか。

 

神社という場所は、その聖なる土地のエネルギーをチャージし、神様と向き合うための場所です。

 

御朱印を貰うために、列に並んでいる時間があれば、

御神前で目を閉じて、神様の息吹を感じてみてください。

 

そのほうが、ずっと、素晴らしい思い出になりますよ。

御朱印に意味はあるのか?

御朱印の立ち居地は極めて微妙です。

スタンプラリーよりは敷居が高く、

かといって、お札やお守りと違い、信仰対象にはなりません。

 

結局、

記念以外のなんでもない

ものだといえます。

 

御朱印を貰うことが誰かの約に立てばいいですが、結局、誰の役にも立っていません。

ただの自分のコレクション。

それだけ。

 

ただの、参拝記録として用いるのであれば良いと思います。

しかしながら、ご利益や、その他の意味は特に無いとお考え下さい。

伊勢神宮の御朱印ばかり集めている人の話

ある時、伊勢の神宮を崇敬していて、年に何度もお参りに行くという人の事を人づてに聞いたことがあります。

その人の御朱印帳には、伊勢神宮の御朱印ばかりが押されていました。

年に何度もお参りに行くから、いつお参りに行ったか、今年は何回お参りに行ったかの記録を付けるためだと言ってました。

 

そういう使い方は、とても素敵だと思いました。

「いついつ、お参りに行ったよね〜」と御朱印を見ながら、奥さんや旦那さんと思い出話をする。

それはとても素晴らしいことだと思います。

御朱印が神社の波動を下げてる問題

自分のコレクションなら、勝手にどうぞと言いたい所ですが、

御朱印の為にずらりと並んでいる人たちは、神社の波動を下げていたりもするから、問題なのです。

 

おそらく、昔の私のように、「御朱印集め」の人たちは、作業的に神社参拝をしていて、

並んでいるときの心が

「早くしてくれ!イライラ、ソワソワ。」

だからです。

 

霊感がある人は、特に神様の力が強い神社だと、よく見えると思います。

黒いモヤがかかってますから。

 

もしもあなたが御朱印のせいで、神社の本当の良さに気付けないのだとしたら、御朱印集めはやめた方がいいかもしれません。

さあ、顔を上げて、御朱印帳は捨てて、神様と向き合いましょう。

愚か者「でも神社は御朱印で金儲けしてるんでしょ?」

中には「でも神社は御朱印で金儲けしてるんでしょ?」という人も居るみたいです。

 

「俺たちが御朱印を貰ってやった金で、お前らメシ食ってるんだろ?」

みたいなw

 

それに対する回答としては、「その認識は事実にはそぐわない」という事です。

 

実は、神社経営としてみても、御朱印は「鬼門」なのです。

その理由を箇条書きにすると、

  • 単価が安い
  • 手間時間がかかる
  • 数が増えれば、それ相応のコストもかかる

なんですよね。

 

これ、言っては行けないことなのかもしれませんが、今日はあえて言います。

御朱印、300円ですよ。

 

さらに一つ制作するのに、時間がかかります。

流れ作業でシステム化されていて早いところでも、1分はかかります。

常に構えてはいない小規模な神社なら、対応するのに3分~5分かかるのが普通です。

 

例えば、まちなかの神社で、1日3件入ったとして、900円。

それだけで、神社の経営を成り立たせるのは難しいですね。

 

大きな神社で1日300件入ったとしたら、9万円。

結構足しになるように思えますが…

ところが、300件も入るとなると、

1件1分でまわしたとしても、300分(5時間)かかります。

でも、実際に混む時間帯は決まってきますから、ある時間に100人ぐらい列に並ぶと、2時間待ちとかになりますよね。

 

ディズニーランドかよ!

だから、御朱印を書く専用のスタッフを3人は雇わないと回りません。

字の上手い人に頼むため、アルバイト雇うより給料がかかります。

結局プラスマイナスゼロ。

 

つまり、御朱印は、

収益性は無いけど、ニーズがあるから、サービスでやってる

のが、現実です。

300円はお賽銭に

これ、言うといろいろ問題ありますが、文脈上、あえて言います。

 

300円はお賽銭レベル。

 

もちろん、値段じゃないんですよ。

気持ちですから。

「塵も積もれば…」もあります。

でもあえて言います。

 

300円はお賽銭箱に入れて、神様と会話した方が、神社参拝は有意義な時間になります。

 

昔、働いていた神社の総代さんで、お賽銭に1000円以上しか入れない人がいました。

 

ある時、その人に、「お下がり」を渡そうとしたら怒られましたね。

そして、こういわれました。

 

「私は徳を積むために来ているから、物をもらったら徳にならない」

 

ちなみにその人、地元ではけっこう成功している会社の社長さんでした。

私はこれが本当の信仰だと思いました。

御朱印を集める暇があったら…

自分がなぜ生まれたのか?

そして、この世で何を成して、どこへ向かうのか?

 

御朱印を集める暇があったら、神社の清々しい境内で、目を瞑り、神様と会話しながら、そんなことを考えた方がよっぽど有意義です。

大祓詞を唱えるのもアリ

あと、『大祓詞』を覚えるのもオススメです。

境内の端っこで『大祓詞』を心の中で唱えて見て下さい。

身体の奥底から、浄化されるのがわかります。

きっと素晴らしい体験ができますよ。

かずひさ

かずひさ

宗教家。 代々神主の家系に生まれ、とある神社の神主として神に仕えている。 また、高野山真言宗にて得度した行者でもある。 10代の頃から霊聴を聴くようになる。 2016年、自己流でのチャクラ修行に失敗し、その報いとしてバセドウ病を患い、発見された時は末期で死の寸前だった。 何がダメだったのかを自分なりに反省し、気を取り直して修行を再開。 2016年11月、止観瞑想の末、身体の浮遊を体感、赤い曼荼羅を見る。 2017年4月大日如来の教えに導かれて悟りを開き、「空」の意味を理解する。 それは単に「無」の意味ではない事がわかった。 また、私が開いた悟りは仏の悟りのほんの第一段階に過ぎない事も理解している。